2011年3月15日火曜日

M9.0...  東北関東大震災体験(『北の方のリット』のと同記事)

みなさん。

ワタクシはこの通り、生きてます。

「北の方」とはズバリ、「宮城県」...

今回はあまり地震自体での被害より、津波の被害が凄かった。
ニュースで、「視聴者撮影」のビデオを見ても、恐ろしくなった。



まず、地震が発生したのは午後2時46分。
(2階の和室にある時計が落ちてて、ちょうどその時刻で止まってたから)

その時はちょうど、のんきにも「カールじいさんの空と飛ぶ家」を見てました。(2回目)
(TSUTAYAで借りてきたので、期限内にもう一度見ようと、弟がプロデュースしまして…)

そして、映画上映開始直後…
「ガガガガガガガガゴゴゴゴゴゴゴゴゴトゴトゴトゴト(パリーン!)グラグラグラグラ」
って感じで揺れ始めた…

さすがに皿が一枚割れたときはビビりましたよ、ホントに…

少しおさまってから(それでもガタガタゴトゴト)おばあさんをテーブルの下に誘導して、(with my brother, baby)(すぐしたの弟=10歳は一目散に外へ行った)ひたすら祈ってましたね…

怖かったです。

冷蔵庫からは醤油が飛び出して、「ジャジャ」っと。

その後、美容院に行っていて、途中で帰ってきた母と、会社から帰ってきた父が家に来て、
外に出た。

それからもしばらく余震がガタガタと…
ひざががくがく震えたのは、この季節、寒いからなのか、それとも恐怖からか…
(多分怖かったんでしょう、はい…)

平気な人は、まずいないと思います。

もちろん、2階(our 寝室)の部屋も見るに耐えないほど散乱していて…
はい…(そのわりには翌日、片付けに来た時は10分で一部屋片付け終えましたけど…)

さあ、話を戻しまして、外に出た後、(最初はラジオで、「M8.4」って言ってた。)
父が車を母が行っていた美容院から取り戻しまして、まず「デイケア」でおじいさんを拾う。

信号も全部点かなくて、事故も発生したらしい…

その後、ガソリンスタンドに向かったんですけど…
とてもじゃないけどガソリン補給できる状態じゃなかった。
まさに、長蛇の列! 大渋滞!
ガソリンスタンドの前がものすごいごった返して…

とにかく、父が勤めている会社に行きました。(知ってる人はどこかご存知でしょう)
しきりに母が、「日没までに避難しなきゃ」と言っていた意味が、日没になって、わかった…
「て・い・で・ん」
これがまたやっかい!

というわけで、強い余震が続く中、おじいさんとおばあさん、弟=10歳を会社でおろして、ワタクシと父と母で、必要な避難用品を家までとりに行きました。

懐中電灯を持ちながら家に入るのは、なんか自分の家に侵入しているような気分になりましたね…

そして、その夜は会社で夜を明かす事になりましたよ、避難避難… (他の人も一緒だった。社員家族とか…)

夜11時過ぎてから、父と一緒にガソリンスタンドまで並びに…
もちろん、列に並びましたが、昼間ほどでは無かった。
でも、売られるガソリンも、2000円分までと、限られてました。

結局会社に帰って、寝て、朝…
家に帰って片付け!

家の中の状況は、まあ、今まで経験したことが無い感じでしたね…

本は落ちてるは、机は、ずれてるはの大惨事…

片付け終わって、今度は断水の予告…

断水を前に、ワタクシたち家族は、貯水し始める…
まず、風呂場にチョロチョロとしかでない水をためて、洗濯機にも、いっぱいになるまでためる。
なべにも入れちゃって、バケツというバケツにも…

夜は明るい電灯でしのぎましたよ…

停電で冷蔵庫も止まっちゃって、早く食べちゃわなきゃいけない状態…

翌日曜は、午前から近くに住むクリスチャンの友だちで集まって歌ったり、聖書読んだり…

その後、父が隣県の山形まで買出しに…
近くのスーパーはもう全部売り切れだった。
(地震の日と、その翌日、コンビニに行列ができてたから… そう、信じられないほどの、列)

翌日の朝、廊下とキッチンに、ダンボールに入れられた食料、飲料がどっさりと!
ものすごい量の買い物だったんですよ… 父が買ってきたのは。(といっても全くこの辺では何も買えませんからね)

その日も朝、食べ終わってからこの日は月曜日だったので勉強…
ちょっとだけできました。
そしてうれしいニュースが…
電気が点いた!

父いわく、「信号がついてたから、もしかしてと思った」
ブレーカーを上げたら点いたんです!

もう感動!
嬉しかった~~~~

そして、夜。
パソコンのインターネットにも繋がって、しばらく見てなかったメールの受信トレイに、
「どっさり」と、電子手紙が乗ってました。

「生きてます」

仙台にも津波が来ましたが、ココはぜんぜん大丈夫。津波の「つ」の字も無かった…(ココはね)

電気が戻ってからも、感覚が戻らない。
牛乳は玄関に取りに行くし、(停電のときは冷蔵庫の中より玄関のほうが冷える)電子レンジも使えないような…

でも、電気が戻っても、ストーブがだめなんですね…
灯油が…

物流も悪すぎて、どうしようも無い…
蓄えてある食糧も微妙な感じ。

それでも、津波に飲み込まれて家を流された人のことを思うと、これくらい、なんのその!

がんばります! お祈りありがとうございます。引き続き、よろしく… おねがいします。

「生きてます」

2 件のコメント:

べべ さんのコメント...

よかったです^о^
家は片付きましたか?
でもこの地震が真冬だったらもっと大変だったね!
ガソリンは満タンにできなかったんだ(‐з‐)
今東京が、計画停電みたいです(!Σ!)
ribeka☆♪

Pito さんのコメント...

いや~。PITOです。
家はまあまあ片付いた。フ~
もともと散らかってたけどww
福島も大変だし、こっちもねー
「天災は忘れたころにやって来る」
ですよね。(ま、地震当日の何日か前に震度4ぐらい来ましたけど)
とにかく、早く復興してほしいです、日本